Transamerica

Transamericaを観る。

Brokenback Mountainといい、この、「フツー」さが、ポイントなのかな。

「フツー」というのは、セックスやジェンダーセクシュアリティとかのことを除けば、主人公たちは、どこにでもいるひとたち、として、描かれている、ということね。

Transamericaについて、たいへん、痛かった場面、ふたつ。

ひとつめ。

主人公の、「生物学的」な息子である人物が、義父に、殴りつけられる場面。その義父は、私の偏見まるだしのことばでいうと、暴力を男性性ととりちがえ、支配を家族愛ととりちがえるような、貧しい階層の、アメリカの田舎の「白人」男性。家庭内暴力の問題。


ふたつめ。

薔薇の葬列」をみたカミヨシが、父と息子の近親相姦は、母と息子の近親相姦行為に比べれば、たいした問題じゃないじゃん、といったとき、いや、それは、近親相姦と、男性同性愛行為の、二重のタブーがかかっているわけだから、よりキツいわけよ、と、いいたかったのだけど、そのときはうまく言えなかった。そのことを思い出しました。

あと、ユダヤ教徒キリスト教徒、「先住アメリカ人」とアングロ系アメリカ人とか、いろんな問題が提出されてました。

そのような、いろんな問題を一応、テーブルに乗せてみる、という意味で、アメリカの「フツー」を考え直してみようかなぁ、という映画だったかな。